中国の天狗

中国の天狗

天狗は日本固有の妖怪ではない。実は中国にも天狗の記録があるのだ。

『山海経』には天狗は「頭部が白く山猫のような体をした獣である」と記されている。

「山猫のよう」と記されてはいるが、天狗は猫ではなく犬の一種と考えられていた。そのため天狗には犬神という別名がある。そもそも天狗の「狗」は犬を意味するから当然と言えば当然である。

このような動物なら実際に存在したとしても不思議ではない。天狗は実在すると主張する中国人もいるくらいである。

ただし天狗は単なる珍しい動物ではない。天狗には特別な能力があるのだ。

天狗がどのような特殊能力を持つかについては、大きく分けてふたつの正反対の説が存在する。

ひとつは天狗は幸運をもたらす吉獣だという説である。

この説は『山海経』にも記されている。天狗は非常に縁起のよい獣で、凶気を遠ざける力をもつと考えられていた。つまり天狗は日本で言う「厄払い」の能力を具えているというのだ。

もうひとつは天狗は大きな不幸をもたらす凶獣だという説である。この説をもう少し詳しく説明しよう。

凶獣としての天狗

『山海経』に吉獣として記録されていた天狗は、後の時代になるとどういうわけか非常に縁起の悪い凶獣だと評価されるようになった。

その理由のひとつが天狗星に関する伝説であることは間違いない。

天狗はもともと華山の西300里のところにある陰山に棲む獣であると記録されていた。しかし後の中国では天狗の棲み処は山ではなく天上界に移行したのだ。

神話時代に嫦娥(じょうが)という仙女がいた。嫦娥は現代中国の人工衛星の名前にもなっているので、多くの日本人にとってもどこかで聞いたことがある名前であろう。

嫦娥の夫である后羿(こうげい:嫦娥の夫)は犬を飼っていた。その犬が后羿が手に入れた不老不死の霊薬を食べて天に昇り、天狗になったといわれている。

天狗は天上界を駆け巡る彗星の一種である天狗星になったのだ。だから天狗には天犬の別名もある。

中国では昔から彗星の出現は大凶兆であるとされてきた。天狗が彗星になったことから、天狗も凶兆とされるようになってしまったのである。

日食と月食

中国では日食や月食は天狗が太陽や月を食べることによって生じると信じられてきた。

だから日食や月食が始まると爆竹を鳴らしたり銅鑼を打ち鳴らしたりして天狗を追い払うのだ。そうすると日食も月食も元に戻るのである。

不妊

天狗は女性を不妊にする不気味な能力を具えている。

かつての中国では婚礼に先立つ訓示の際に「天狗を避けること」が重要事項のひとつとして申し渡されたそうだ。そうは言われても、天狗を避ける確実な方法が無い以上、新妻としては困惑するしかなかっただろう。

また結婚しても子供ができない女性は張仙(ちょうせん)に妊娠を祈願した。

張仙は天狗を弓矢で追い払う神である。天狗を追い払うことによって妊娠を妨害する霊力が消え去り、子宝を授かることができると信じられている。

農作物を荒らす

江蘇省の丹徒県では天狗は1匹ではなく群れをなしていると考えられている。

かつて天狗の群れが丹徒県に下りてきて農作物を喰い荒らした。

そこへ白髪の老人が現れ、農民たちに泥で犬を作るように命じたという。農民たちが言われたとおりに泥の犬を作ると、老人はその泥犬を河に投げ込むように命じた。

農民たちが一斉に泥犬を河に投げ込むと、天狗の群れも河に飛び込み溺れ死んだという。

丹徒県では現在でも旧暦の4月8日に泥の犬を作って河に投げ込む習慣があるそうだ。

食人

旧暦の7月15日は中元節である。この日、天狗が天から降りてきて人間たちの子供を喰らうと言われてる。

この話は中国西北部あるいは華北地域で信じられてきた。

そのため華北、西北地域では天狗が襲ってきたときの身代わりとして、子供たちに麺人を持たせる風習がある。

麺人とは小麦粉をねって作った生地を整形して作る人形のようなものである。現在でも中元節の麺人は、この地域を代表する食文化、工芸文化のひとつなのだ。