名古屋大学女子学生のケース
2014年12月、名古屋大学の女子大生が宗教の勧誘で知り合った女性を自宅アパートに誘い込み殺害した。
この事件の捜査過程で、女子大生が高校時代に2人の人物に硫酸タリウムを飲ませていたことが判明した。
硫酸タリウムは猛毒である。成人の致死量はおよそ1グラムと言われているが、摂取量が500mgを超えると死亡することが多いそうだ。
硫酸タリウムにはにおいや味がなく、しかも水に溶けるので避けるのが難しい毒物である。
なぜ女子学生がそのような危険な薬品を入手できたのか?
女子学生は田舎の薬局で買ったと供述したそうだ。
硫酸タリウムは殺鼠剤として使われていたようだ。年齢を偽れば一般の生徒にも入手することができたのである。
美人才媛タリウム中毒死事案
清華大学は中国の最高学府のひとつと言われている。
その清華大学に朱令という名の才媛がいた。
彼女は学業だけではなく、ピアノや琴の名手でもあり、さらに美貌にも恵まれた人物だった。
1994年12月ころから朱令は原因不明の頭痛を訴えるようになっていた。
症状が悪化すると全身に強烈な痛みを感じることもあったようだ。
1995年1月には髪の毛がすっかり抜けてしまった。
朱令は同仁医院に1カ月入院した。その間も痛みは激しさを増していたが、原因を究明することはできなかった。
1995年3月に朱令は再び謎の痛みに襲われた。
治療を担当した北京協和医院神経内科主任の李医師はタリウム中毒を疑ったが、詳しい検査をする前に病状は急速に悪化し、朱令はICUに移された。
タリウムの吸収を阻害するプルシアンブルー(Prussian blue)を用いた治療が行われたが、朱令には極度の弱視、運動能力の低下などの障害が残り、車椅子での生活を余儀なくされる結果となった。
容疑者
朱令は化学系の学生であったが、タリウムと接触する機会はなかった。
そこで警察は事故による中毒ではなく、何者かがタリウムを飲ませたと判断して捜査を開始した。
当時北京でタリウムを入手することができた人物は200名ほどであった。
その中から朱令の飲食物にタリウムを混入できる人物は非常に限られている。
犯人検挙は時間の問題と思われた。
警察は朱令の同級生で同じ宿舎の女学生Sの嫌疑が濃厚だと判断したようだ。
当時の学生はタリウムに接触する機会がなかったが、Sだけは研究内容との関係でタリウムを入手できたことが明らかになったからだ。
警察はSを尋問した。事件解決は目の前に迫った。当時、警察関係者も朱令の家族も、そう思ったはずだ。
しかしその後、この事件は未解決事件として迷宮入りするのである。
容疑者の背景事情
Sはだたの女学生ではなかった。
Sの祖父は辛亥革命に参加した革命エリートである。
祖父が死亡したときには、中国共産党最高幹部が葬儀に参列したと言われているほどの超大物だったのだ。
その祖父が生前に国家指導者レベルの人物に会見し、孫娘を解放するように働きかけていたという。
警察は容疑者を特定し、家族に「上からの指示を待っている」と説明していた。
しかしその説明の後、容疑者が逮捕・起訴されることはなかった。
それだけではない。
1998年8月26日には公安はSに対する嫌疑が消滅したことを宣言したのである。
今でも多くの中国人はSが犯人であり、政治力によりSの犯罪はもみ消されたと考えているようだ。
しかし一部には「有罪推定」でSを犯人と決めつけることを批判する人もいる。
この建前を正面切って否定することはできないのだが、権力を持たない庶民にも「無罪推定」が貫かれているのだろうか?
やはり権力ありきの処分であることは間違いないだろう。
事件の闇
少なくとも警察はこの事件の真相を知っているはずだ。
なぜなら当時タリウムを入手できた人物は限られていたからだ。
その警察が何の成果もあげることなく事件を迷宮入りさせてしまった。
被害者は今でもほぼ失明に近い状態で車椅子生活を続けている。
本人と家族は、この状況をどう思っているのだろうか?
日本人にとっての中国の怖さは、まだ「安全地帯」からの感想だ。
本当に中国の闇の恐ろしさを知っているのは、他ならぬ中国人自身なのである。