中国第一の凶賊・張君
張君は「中国第一悍匪(中国第一の凶賊)」と呼ばれた犯罪組織のボスである。
中国の犯罪史上、最も凶悪で冷酷な犯罪集団を作り上げた男だ。
張君は単なる粗暴な男ではない。犯罪を組織的に行うことを研究し尽くした人物なのだ。
組織犯罪を成功させるには単独犯とは異なる数々の工夫が必要になる。
張君はそうした犯罪者の「手本」とでも言うべき組織運営を行った有名な犯罪者だ。
しかし日本では張君の犯罪どころか張君の名前すら知らない人も多いだろう。
この記事では知られざる中国第一の凶賊について詳しく紹介することにしよう。
張君の経歴
張君は1966年8月5日、湖南省常德市の安郷県・安福郷・花林村の非常に貧しい農家に生まれた。
7人兄弟姉妹のうちの最年少者だ。ただし張君だけは兄弟姉妹とは別の父親の子だった。
母親が再婚し、その父親との間に生まれたのが張君だった。だから張君だけが兄弟姉妹と姓が違うのである。
張君が12歳のとき母親が癌で死亡した。
療養中の母親はいつも肉丸湯を食べたいと言っていたそうだ。
張君はアルバイトをして5毛(1元の2分の1)を稼ぎ、そのカネでわずかな肉を買い、姉たちの料理を真似て肉丸湯を作ったそうだ。
張君はその肉丸湯を母親に食べさせたのだ。
家族に対する愛情と犯罪者としての冷酷さは、ひとりの人間の心に同居することがある。
このことは映画ゴッドファーザーが描いた物語の中にだけ存在する架空の話ではない。そのことはこの記事を最後まで読んでいただければおわかりになるだろう。
張君は少林寺などの武侠ものの映画を好んだそうだ。
学費が捻出できず高校に入学直後に退学してからは頻繁に喧嘩をしていたそうだ。そのことで地元では少しは名の知れた存在になっていたという。
1983年、張君が17歳のときに喧嘩が原因で日本でいう少年院のような施設に収容されている。
1990年、張君は2名の仲間と強盗集団を結成した。彼らは1991年6月から2000年9月までのあいだにメンバーを増員しつつ、重慶、湖南、湖北、雲南、広西などの地域で強盗、殺人などの凶悪犯罪を繰り返した。
時系列的に主な事件を整理すると以下のようになる。
1991年6月25日:湖南省津市、強盗、1名が軽症
1993年4月19日:湖南安郷県、強盗、1名が軽症
1994年2月8日:広西寧明県、強盗殺人、1名が死亡
1994年8月:雲南省開遠市、強盗
1994年10月:雲南省開遠市、殺人、2名が死亡
1994年11月23日:重慶市、強盗殺人、1名が死亡
1995年1月25日:重慶市、渝中区、強盗殺人、1名が死亡
1995年12月22日:重慶市、強盗殺人、1名が死亡2名が軽症
1996年12月25日:上海、強盗殺人、2名が死亡1名が軽症
1997年11月27日:湖南省長沙市、強盗殺人、2名が死亡1名が軽症
1998年10月:湖南省漢寿県、殺人、1名が死亡
1998年12月19日:強盗殺人、1名が死亡
1998年12月20日:湖北省公安県、殺人、2名が死亡
1999年1月4日:湖北省武漢市、強盗殺人、1名が死亡3名が重症3名が軽症
2000年6月19日:重慶市、強盗殺人、2名が死亡2名が軽症
2000年7月21日:湖南省漢寿県、殺人、1名が死亡
2000年8月15日:湖南省安郷県、殺人、2名が死亡
2000年8月31日:湖南省常徳市、殺人、1名が死亡
これだけの犯罪を繰り返していたにも関わらず検挙されなかったわけである。