円光術とは何か
国民党時代の中国で一世を風靡した円光術という呪術がある。
円光術には多くの種類があり、円光術を用いる目的も多岐にわたる。最も一般的な円光術は鏡を使い、紛失物の行方を捜す目的で用いられた。
鏡を用いる円光術の一例として次のような方法が伝わっている。
まず円形の鏡を布か紙で覆う。次に沐浴して身を清めてから自分の手と鏡を覆った紙または布に胡麻油を塗る。
そうしておいて呪文を唱えながらふたりの子供に鏡を覆った布または紙を見せるのだ。
すると子供たちにはまるでテレビを見ているかのように鮮明に探し物が消えたときの情景が見えるのである。
誰かが盗んだのであればその場面が見えるし、どこかに落としたならその時の場面が映し出される。
非常に便利な呪術であるから一時期は爆発的に流行したと言われている。
多様な円光術
もともと円光術は千数百年前から受け継がれて来た道術の一種であるらしい。
円光術の達人は鏡を必要としない。壁、水面、手のひら、さらには空中にすら映像を映し出すこともできるそうだ。
ただし映像を映す媒体は円光術を使う道士によってある程度の傾向が決まっていたと思われる。だから円光術には手光術、掌光術、壁光術、布光術、紙光術、球光術、空光術、隔山照など様々な種類があるのだ。
大円光術と小円光術
ビジョンを映す媒体の違いとは異なる区別として、円光術には大円光術(老光術)と小円光術の区別がある。
小円光術は初心者でも成功率が高いが、大円光術を行うには相応の修行が必要である。当然、小円光術の呪術としての程度は大円光術に劣る。
小円光術は鏡などの媒体にビジョンを映すが、大円光術を用いると空中に立体的なビジョンを映し出すことができる。
また小円光術によるビジョンは子供にしか見えないが、大円光術によるビジョンは成人にも見えるという違いもある。
「見える」人
大円光術を用いたとしても全ての成人にビジョンが見えるわけではない。
国民党時代の情報によれば、成人の場合は通常3割程度の割合でビジョンが見えたそうだ。大円光術を行う人の力量が優れていれば、さらに多くの成人にビジョンを見せることができる。
また見る側の要素も関係する。
女性の方が見えやすく、また信仰心が強い人も見えやすい。
さらに円光術を行う場や時間も重要だ。
場所としては寺院や神廟の敷地内が見えやすく、時間的には夜間が見えやすい。
ビジョンの見え方には鮮明さの違いがある。
くっきりと鮮明に見える場合もあれば、ぼんやりと曖昧な像しか見えないこともある。この違いも円光術を行う人の力量、見る側の要素、時間、場所に左右されるそうだ。
円光術の用途
円光術は紛失物を探す手段として爆発的に流行した。また行方不明者の捜索にも使われたそうだ。ビジョンが見えたとしても例外なく正しいわけではなかったそうだが、かなりの的中率を示したようである。
紛失物が盗まれたことが判明した場合には、盗んだ者を映し出すことも可能である。さらに映し出した悪人を罰することもできる。ただし罰を与えるにはビジョンを映し出すよりも高度な術を用いる必要があるそうだ。
円光術は何かを探し出すためだけの呪術ではない。
円光術は「この世」の事象以外についても効果を発揮するのだ。例えば円光術を用いて悪鬼を「落とす」ことができる。
悪鬼がビジョンに映し出されると悪鬼は退散するのだ。怪奇現象への対策や霊的な病気の治療手段として円光術は非常に有用なのである。
また円光術を使うことによって異世界とコンタクトすることができる。
ビジョンの中に現れた仙人や神と会話を交わし、願望を伝えたり仙術の奥義を訊ねたりすることができるのだ。
現代の円光術
円光術は現在の中国にも存在する。
ただし円光術の奥義は師匠から弟子に口伝で伝えられるものであるから、師弟関係という濃厚な人間関係を維持するのが難しい現代中国では、国民党の時代ほど流行してはいない。
この結果として素人に近い人はほとんどいなくなった。つまり現代中国で円光術を行う術師はかなりの力量を持つと考えてよいのだ。
円光術は「この世」だけではなく霊的な世界を映し出すが、さらに未来を映し出すこともできる。
上海の投資家
株式投資が盛んな中国では、的中率が高い未来予測を利用して一攫千金を狙う人が少なくない。
ある円光術を使う道士が安徽省の斎雲山から上海に来たことがある。海外からの訪問者と会うためだ。
この噂を聞きつけた上海人が夫婦そろって道士が滞在していたホテルを訪ねたそうだ。
押し掛けるようにして道士の部屋に入った夫婦は、不動産を売却して得た資金を使って株に投資するから、次の月曜日の株価を映し出して欲しいと懇願した。
しかし道士は金銭が絡んだ円光術はできないと断った。
すると夫婦は知恵を働かせて別のことを頼み込んだ。月曜日の夫の姿を映し出して欲しいと依頼したのだ。
夫婦はすでにある会社の株に全ての資金をつぎ込む計画を立てていた。月曜日の夫が成功の喜びに酔い痴れていたら計画通りに株を買い、落胆していたら買わなければよいと考えたようだ。
この頼みを断るとさらに別の頼みごとをされる雰囲気であったから、道士は夫の月曜日の様子を映し出すことにした。
道士が部屋の壁に向かって手をかざすと、うわさ通り円形の光が現れた。しかし夫の姿は映し出されなかった。
夫婦は落胆して帰って行った。その帰り道で夫婦は事故に遭い、妻は奇跡的に無事であったが、夫はほぼ即死だったそうだ。