北朝鮮とのパイプ
周永康は金正日(キム・ジョンイル:1941年-2011年)時代から北朝鮮との太いパイプをもつ政治家として知られていた。
後継者候補の金正恩とも早い段階で独自の情報交換を行っていたようだ。
金正日の死後、2012年に北京で胡錦涛(当時の国家主席)と北朝鮮の張成沢(チャン・ソンテク当時国防委員会副委員長)の会談が行われた。
この会談の中で張成沢は金正男(キム・ジョンナム:1971年-2017年)を後継者に就けたいと発言したらしい。
周永康は国家安全部(諜報部門)の馬建(ば・けん)を使って、この会談内容を盗聴させていたと言われている。
馬建は中国共産党幹部のハニトラビデオを撮影するなどの諜報活動を行っていた人物であるから、国家主席の会談を盗聴したとしても不思議はない。
周永康は盗聴内容をしばらくのあいだは温存していたようだが、後に金正恩に情報提供したようである。
恐らく金正恩政権が安定するのを見極めた上での情報提供だったのだろう。
その後の経過は大きなニュースになった。
まずひとつめは張成沢の処刑である。
どのように処刑されたかについては諸説ある。肉片になるまで機関銃で撃たれたという説もあれば、火炎放射器で焼かれたという説もあれば、多数の猟犬に喰われたという話まである。
何れにしても常軌を逸する残虐な処刑である。とても明文化された処刑方法とは思われない。
恐らくこれは金正男を担ぎ出そうとした張成沢への恐怖と怒りの表現と見るべきだろう。
そしてもうひとつは金正男の暗殺だ。
張成沢が金正男を担ぎ出そうとしていたとすれば、北朝鮮の政権中枢には他にもまだ金正男の支持者がいるかもしれない。
そのような隠れ反金正恩派を諦めさせるには、金正男を消すのが最も有効な手段である。
そしてその有効な手段は実行されたのだ。
もちろん中国外交部(外務省に相当する)は周永康による情報提供を否定している。
しかし後に述べる通り周永康は国家機密漏洩罪でも起訴されている。
金正恩への情報提供が重大な国家機密漏洩とみなされた可能性は非常に大きい。