周永康~習近平に潰された共産党の「殿上人」

殿上人から囚人へ

以前の中国では政治局常務委員に上り詰めた共産党幹部は不逮捕特権を有すると信じられていた。

しかし周永康の失脚はそれが単なる都市伝説に過ぎないことを証明したのである。

共産党政権の殿上人にまで上り詰め、そして監獄の住人となった周永康とはどのような人物なのか?

今回は習近平に葬られた最大の大物について紹介しよう。

経歴

周永康(しゅう・えいこう)
1942年12月生まれ
江蘇省無錫出身

周永康は1966年に北京石油学院を卒業している。石油学院では油田を発見するための技術を学んでいたようだ。

卒業後は石油技師として石油会社に勤務していたが、会社内の共産党組織に所属し、共産党中央の要職に抜擢された。

なぜ石油技師から共産党中央のメンバーにまで出世したかについては、次のように言われている。

周永康の最初の夫人は当時の中国のドンであった江沢民の血縁関係者だったというのだ。

日本の識者は「江沢民の親戚であると噂されている」というように慎重な表現をする人が多いが、海外には江沢民夫人の親戚であると断言しているメディアも存在する。

周永康の出世の背景には結婚を通じて形成された共産党大幹部との人脈があったと考えるのが順当だろう。