殿上人の失脚
周永康が失脚したきっかけは薄熙来(はくきらい)の失脚であると言われている。
現在の中国では習近平が第2の毛沢東になると言われているが、薄熙来が現役のころは薄熙来こそが第2の毛沢東になると言われていた。
当時の薄熙来は明らかに習近平よりも目立っていた。しかしそれだけに敵も多かったのだ。
夫人の殺人事件や側近の亡命事件をきっかけにして薄熙来は突如失脚する(2012年)。
周永康は薄熙来と親密であり、薄熙来の処分には消極的だった。
しかしこのことが周永康を追い詰めることになる。
捜査の過程で周永康・薄熙来らは、次世代の有力者とみなされていた習近平を排除するだけではなく、鄧小平以来の党の方針を転換し、党の実権を握ろうと画策していたことが判明したのである。
周永康が収賄、職権乱用、国家機密漏洩の罪で訴追されたのは2015年である。
薄熙来が失脚してから3年近い猶予があったのは、政治局常務委員を訴追するための証拠固めに十分な時間を費やす必要があったからだろう。
2015年6月に無期懲役の判決が下された。
これに対して周永康は上訴しない意思を表明している。これは中国の政治犯にありがちの対応だ。
なぜなら周永康の裁判は単なる裁判ではない。権力闘争なのだ。起訴された時点で負けが決定していたと言ってよい。
上訴する意味はないのである。
現在、周永康は秦城監獄に収監されている。