天安門の向こう側
紫禁城は明の永楽帝(1360年から1424年)の時代に建設された。
明王朝が滅びた後も清朝の王宮として命脈を保ち、現在は故宮博物館として一般に公開されている。有名な天安門の向こう側が故宮博物館である。
紫禁城は中国ではもちろんだが、日本でもよく知られている北京屈指の観光スポットだ。
海外から訪れる観光客は必ず紫禁城に立ち寄ることになっている。外国人にとっての紫禁城は華やかな観光名所でしかない。
しかし中国では違う。
紫禁城は北京はおろか中国全土に知られた心霊スポットなのである。
非公開の理由
広大な紫禁城は一般公開されている。しかし実は公開されていない区域も少なくない。
なぜ公開されない区域があるのか?
一説には、紫禁城の内部で今でも多発している怪奇現象を公衆の目から遠ざけるためだといわれている。
実際に中国では紫禁城で発生したと言われるさまざまな怪奇現象の噂がささやかれている。
今回はその中からいくつかの話を紹介しよう。この話を読めば、北京観光の際の紫禁城の楽しみ方が増えるはずである。
宮灯
1983年のある夜のことである。
当時の紫禁城には外灯が設置されておらず、夜は非常に暗かったそうである。
夜間の警備を担当する職員が宮灯(飾りがついた昔の照明器具)をもった一群の女性が歩く姿を目撃した。
当時すでに懐中電灯は普及していた。それにもかかわらず宮灯を使うのを不審に思った職員は、女性たちの後を追ったそうである。
遠くに見える宮灯を追って近づくと、女性たちは建物の中に入って行った。建物の中からは淡い光が漏れており、その光で初めて女性の姿を確認することができた。
女性たちは清代の女官の衣服をまとっていたそうである。
実はこれと似た目撃証言は少なくないそうだ。
紫禁城の中は時空の歪みが存在し、しばしば「過去」が現れるのだと考えられている。
怪獣
紫禁城の内部には鼠を巨大にしたような怪獣が今でも生息しているという。
この怪獣はブタほどの大きさがあり、かつて皇族が飼っていたものの生き残りだと噂されている。
中国の皇族であれば、巨大なペットを飼育していたとしても不思議はないが、このような大きな生物がいまだに生息しているとは信じがたい。
しかし鼠に似た巨大生物の目撃証言は60年代には非常に多かったそうだ。
この怪獣も紫禁城の中に生息するというよりも、時空を越えて出現し、時空を越えて消滅すると考えるべきであろう。
つまりかつて紫禁城で飼われていた怪獣が、時間の壁を超越して現代の紫禁城に移動したのだ。
このような現象が頻発するからこそ、紫禁城の一部は禁区として閉鎖されているのである。
長髪の女
1995年10月のある夜、21時ごろのことである。
紫禁城内の警備兵が30メートルほど離れたところに、黒い服を着た長い髪の女が、背中を向けて立っているのを目撃した。
不審に思った警備兵が声をかけると、女は北に向かって逃げ出した。
警備兵は女の後を追い、城内の建物の前まで追い詰めた。兵士のひとりが「こちらを向け」と命じると、女はゆっくりと振り返った。
振り返った女には顔がなかった。
この女を目撃した兵士ふたりは5日後と10日後に相次いで急死したそうだ。
宮廷は華やかなイメージとは異なり、怨霊がさまよう危険な場である。
政治闘争による怨念、後宮の女性たちの嫉妬と怨嗟。こうした負の情念が怨霊として残り、時として人の命を奪うほどの超常現象を引き起こすのだ。
付記
紫禁城にまつわる怪奇現象は、まだまだある。そのうちのひとつである陰兵過路については別の記事で紹介した。
迷信を打破するのは中国の国是であるから、中国では紫禁城の怪異事件を科学的に解明する番組も放送されている。
宮灯をもつ宮女の姿はあまりにもたびたび目撃されていたため、この現象を科学的に説明する仮説も提唱された。
しかし「城内の壁が録画テープの役割を果たし、雷のエネルギーによって清代の女官の映像が記録された」との説明には首をかしげざるをえない。
説明に窮した挙句の無理な仮説の典型である。
実際には紫禁城で起きている数々の怪奇事件は、科学的には説明のつかない不思議な現象であると認めざるをえないのだ。